Wednesday, November 30, 2005

全体主義への吟味

 文学の分野においても、本年の初頭から民衆と知識階級との社会関係の再吟味がとりあげられて来ている。しかし、そのとりあげられかたは一種独特な色調を帯びていて、例えば、『文学界』の同人達によって喧しく提案された文壇否定、従来の意味での職業的文壇的作家の否定、文学の大衆化の声は、不思議にも常に今日の民衆がおかれている文化の貧困と水準の低さとをそれなりに肯定した上で発せられている。この種の論者は、浪花節を何よりすきと思っている民衆の感情にぴったりするようなものを作家は創造して大衆化しなければならないと主張した。大衆にわかるように書かなければならないと主張した。谷川徹三氏はその「文化均衡論」で、現代は民衆の文化水準と知識人の文化水準とが、社会機構の欠陥から余り隔絶しすぎてしまっている、知識人は民衆が現実としてもっている文化水準へ歩みよる努力をしなければならない、そこに新たな文化の生育の可能とヒューマニズムの芽とがかくされていると主張されるのである。